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3代目Jサウナブラザース!讃嘆詞風!(武蔵小山温泉健康ブログ)


サウナ!ただ汗をかくだけの場所にあらず!!サウナのない人生はヤシの木の無い人生と同じ!男はガツンとサウナ!男はガツンとサウナ&水風呂!男はガツンとかけ湯で汗を流して、水風呂&天然温泉!袖触れ合うも多少の縁!見ず知らずの人たちも一つ屋根の下、一つ瓦屋根の下のサウナの中、高温サウナの我慢比べ、隣がでるまででないぞ、いや隣りもこの若造が出てから出るぜ、一番上段から見下ろす高温地帯の常連さんは全員でたらオイラは出るぜ。サウナは男と男の磨き合い。言葉は交わさなくてもサウナ猛者はオーラが漂ってくる。サウナ、おお!サウナ今日も灼熱の極熱地獄から天然温泉の水風呂に入るときの至福の喜び、心よりカラダの邪気がふり払われる喜び!この狭い空間に集い合う者たちは3代目若旦那の武蔵小山温泉のJサウナブラザースに属する未来の栄光と福運!強靱なカラダと明日への活力、間違いなく立身出世を成す者たちであろう!

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日々の労働の汗、日々の抑圧、日々の威圧にも負けない勇者たち!サウナ!無数の毛穴から噴き出る汗!その汗には疲労物質が含まれている!そしてすべての汗をふき出すことで明日への活力が充電できるのだ。つねに前進、成長、そして拡大を宿命つけた勇者たちよ!今日も明日もとことんまで自分を鍛え抜き、無駄を省き、必要な筋肉と知力と体力を武蔵小山温泉のサウナで磨きに磨き、明日の運命を切り開いていくのだ!それが3代目若旦那の思いを込めて創った銭湯・武蔵小山温泉の湯念なのだから。サウナはソウル!ソウルは魂!魂は湯念!(理念)明日の日本を切り開く湯(勇)者たちよ立ちあがれ!明日のために!字余り♪

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。

書評「あの日」を読んでみて。(武蔵小山温泉若旦那の思いブログ)


小保方さん、温泉好きなんですよね。兎にも角にものんびり温泉にでもつかって心とカラダを休めてください。うちでよければ貸切で信頼できるご友人、ご家族とでも一緒に入ってもらっても大丈夫です。そして次へのステップ!そう輝ける未来に向かって歩きだすために。そう走り出すために!貸切は気が済むまで何度でも大丈夫です。僕に出来ることはそのぐらいのことしかないのですから。でも応援してあげたい。心ある人々はきっと同じことを思っているはず。小保方さんはひとつも悪くない。「あの日」を読み切って感じたことを正直に言うと、細かいことは気にしないで「あの日」決意した人々のために生きていく。その崇高な生き方を貫いていただきたい。それ以外の枝葉のさざめきや、心ないさざ波は一切気にしないでください。あなたは正しいことをしたのです。心清らかに、ただ人々のために。そして、その信念はまだ燃え尽きていない。むしろくすぶり続ける故にひょっとしたら苦しんでいるのかもしれない。生きるということは理由がある。その理由を小保方さんは知ってるはずです。あなただから出来た人々を幸福にする使命の火種をけっして消さないでください。

第1話②

「あの日」を読んでいて、まだその火種をさらに燃やし光り輝かせる道が残っている予感がするのは僕だけでしょうか。まだまだ、あなたの使命は終わってない。きっと眩しすぎる輝く未来を満身で享受する喜びを億倍に感じるためにあえて天が課した人生の途上でのただ一人だけ立たされた氷上の寒風だったのでしょう。ですが冬はかならず春になります。心が寒ければ僕が温めてあげます。体が寒ければ温泉があります(笑)未来は栄光の輝きで眩く、燦々としている。だからまた心を燃やしてほしい。自分の信念のままに。ただただ自分を信じて、前だけを見て進んでほしい。立場や、身分や、肩書きじゃないでしょう。あなたに使命があればきっと自分が思っている通りの自分になれる。最後の砦のように書いてありましたが早稲田の博士号も関係ない。あなたに相応いのなら、これから世界中の大学から名誉博士号、名誉教授号をもらえるでしょう。日本は島国です。でも、まだ世界には良心は残っているでしょう。少なくとも能力は認めるでしょう。泣いてる場合じゃないですよ。他人の雑言などとやかく言ってる場合じゃないですよ。あなたにはあなたにしか出来ない仕事がある。使命がある。切り開くべき宿命がある。小保方さん。僕は沢山いる信じている人々の中の一人です。戦ってください。人は戦うために生まれてきたのですから、きっとスタップ細胞も戦ってますよ。この世に生まれたいと。生きて生きて生き抜いて、前に進んで進んで進み抜いて、小保方さんらしく生きていることを謳歌してください。絶対に出来る!絶対に勝てる!僕は信じている!

 

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。

2015!から2016!へ!最高の年を皆々様で迎えましょう!(武蔵小山温泉本年の挨拶ブログ)


今年も大変にお世話になりました!そして本当にありがとうございました!武蔵小山温泉もリニューアルして7年、来年は8年目になります。末広がりの「8」僕の誕生日も8日ついでにいうと1月8日です。甘いもの辛い物なんでも好きですので随時受付していますのでもし誕生日に何かくれるという奇特な方がいましたら、休みなしで武蔵小山温泉は営業していますので宜しくお願い申し上げます。

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さて、武蔵小山も再開発の波がついに覆いかぶさってきました。東口の駅前の繁華街は段階的に姿を消して、新しい街並みが作られていくでしょうか。その余波はパルム商店街の一部も同じように立ち退きそして大きなマンションが立ち、大きな商業スペースができるでしょう。きっとここに何があったかなんて忘れてしまうことでしょう。でもそこに住む武蔵小山の民はいつまでも、いつまでも変らぬ優しさをもって生き抜いていくことでしょう。どんなにマンションだらけになろうがどんなに発展しようが、武蔵小山温泉という心の暖房機があればいつでも人の優しさ、温かさを呼び戻すことができるんじゃないでしょうか。心の灯台、優しさの灯台、人と人をつなげる灯台、そんな地域になくてはならない存在の心にそっと寄りそえる灯台のような温かい銭湯を2016年も続けていきたいと思います。

 

新春!武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。

優しくなりたいと思った日。(武蔵小山温泉想い系ブログ)


世の中争い事がおおすぎます。人の足元をすくうのが当然の世の中だと錯覚していることがおおすぎます。自由をはきちがえている人がおおすぎます。弱いものいじめがまかり通っています。論理のすり替えがおおすぎます。平等といいつつ不公平がおおすぎます。そして差別も厳然とあります。優しさが弱さの裏返しだったすることがおおすぎます。とうぜん本音と建て前が横行しています。根回しが仕事のひとつだとかんちがいしていることがおおすぎます。後出しじゃんけんして預言者ぶってるひともみたことあります。ばかよばわりするばかがおおすぎます。仁もなく屁理屈ばかりこねているヤブもいるようです。ネットに権利があると錯覚しているひともおおすぎます。自由をはきちがえていることがおおすぎます。平和をあきらめているひとがおおすぎます。おうおうにして目の前のことしかわからない人がおおすぎます。

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図書館で借りてきたどこかの「読み人知らず」の文章をうるおぼえで抜粋しました。(ちょっと自分の言葉もはいっていますが)

なんだか優しくなりたいと思ってしまいました。風呂は不老に通じ、不老は永遠の生命をあらわし、永遠の生命は過去、現在、未来の三世の生命をあらわし、人の因果の法則をあらわします。いいことをすればいいことがある。わるいことをすればわるいことがある。死んだおばあちゃんが口をすっぱくしてよく言っていました。だれかが「人を変えようとしてもかわらない、自分が変ってこそはじめて何かが変っていく」と文字の氾濫、自分の軸を見失わないようにしないといけない時代ですね。だから強くなくてはいけない、だから毎日のルーティンが必要なのです。それが銭湯での明日への活力でもいいですし、すべてやりきった時のご褒美の銭湯でもいいのです。強い心に優しい心が厳然と芽生えてくるのですから。

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。

すべての人が温泉にはいる理由(武蔵小山温泉ブログ)


すべからずすべての人は平等であり、だれもが幸せになる権利があり、健康になる権利があります。寒風吹きすさぶ日も、孤独を感じる日も、誰もが心をそしてカラダをあたためる権利があります。病気だろうが健康だろうが、すべての事柄には両端のどちらかに動いている過程であり、シーソーのように「良」、「悪」のどちらかに傾こうとしているものと思われます。健康で言えば「健康」「不健康」。経済力で言えば「金持ち」、「貧乏」。人気で言えば「人気者」、「嫌われ者」などなど。その両極端の狭間のなかで右往左往そているのではないでしょうか。

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それが言葉は違えど「毀誉褒貶」や「運不運」、「天国と地獄」などのあまたの人生ドラマを一人一人が主人公として人生と言う舞台のうえで自分だけの役を舞っているのではないでしょうか。さて、今自分がどんな境遇であろうが、それが悲しかろうが、辛かろうが、病気だろうが武蔵小山温泉の心あたたまる二種類の天然温泉はどんな時でもあなたを温かく迎えるでしょう。そんな誰にでも平等な天然温泉がある庶民派銭湯に心もカラダも温めに来てみてはいかがでしょうか。皆々様のお越しを心よりお待ち申し上げております。

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。

稀有な第一人者!銭湯研究家の町田忍氏!(武蔵小山温泉讃嘆ブログ)


皆さまご存知でしょうか?町田忍という当世一代の稀有な人物を?え、知らない!忍(しのぶ)といっても女性ではないんです。男の人であり著名な文化人です。僕はこの町田忍氏が大好きなんです。最初の出会いは10年前、昔の清水湯時代からです。一緒に入ったお風呂の入り方が僕と一緒だったのです。それは下座でシャワーが跳ねないように膝を閉じてカラダを洗う時も極力小さく、当然お風呂に入る前にカラダ全てを洗います。その周囲に気を配る銭湯人の風呂の入りかたが同じだったのです。それだけで只者じゃないとわかりました。一般客が銭湯人と同じ過度に気をつかいながらお風呂にはいることはまずありえませんから。そして町田忍氏とは銭湯の研究者の第一人者であり、庶民文化研究所所長であり、日本銭湯文化協会理事であり、知る人ぞ知る庶民文化研究家なんです。いわゆる高慢ちきな批評家ではありません、大きな心の底辺にやさしい愛に裏打ちされ、また優しい眼差しで本質を見据えて、銭湯業界の裏も表も温かく包み込むように発展に貢献してくれている稀有な第一人者なんです。一度会って話をすればわかります。

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決して悪口を言わない。決して人をダシに使わない、どこまでも守り褒めながら育てていく、心の大らかさと優しさが同居している本物の評論家であり、その道の専門家であり、またその道の本当のファンなのです。町田忍氏と話していると本当に銭湯を愛していることに気がつきます。巷にはびこる似非批評家と完全に一線を画している、ただの自己満足、批評と言うミノにかくれたただのデマインフルエンサーとは完全に似て非なるものなのです。ああ、町田忍先生。あなたは本当に銭湯の大変さを理解してくださっています。ああ、本当に銭湯の素晴らしさをしっています。ああ、本当に銭湯をつづけることの重責をわかっていただいています。ああ、本当に銭湯の誇りをおしえてくださっています。ああ、あなたは本当に銭湯への愛がある!町田忍氏の書籍を読むことであらためて銭湯の誇り、またその価値に気がつく銭湯人の多いこと、はじめて知った銭湯の歴史、はじめて知った銭湯の存在価値!それらは先人の言い伝えよりも町田忍氏から教えてもらった方がはるかに多いのです。純粋に銭湯を愛してくれる町田先生。さらに広く、大きくこれからも銭湯の世界に本当の愛を教えてください。そして町田忍先生これからも僕たち銭湯人を導いてください。

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。

町田忍博物館 http://www.edo.net/machida/

 

 

僕は行動することが正しいと思うのです。(武蔵小山温泉ブログ)


健康オタク。いや一度カラダを壊しているので不健康が怖い。病気が怖い。病気と付き合っていこうなどとは露にも思っていない若旦那。齢も47にもなるとカラダの根幹の部分が疲れやすいし、なんとなく昔より姿勢が悪くなった気がします。明らかに小じわは増え、肩周りは日焼けのシミだらけになっています。側頭部には白髪がぽつぽつ生えてきて。老化は誰にでも公平に訪れるものなんだと、秋の虫の音を聞きながら、「じょうじゅうえくう」(成住壊空)が頭をよぎりました。これ仏様のことばですが、説明が面倒なのでググってみてください(笑)人って顔形も一人一人違うし、当然考えていることも違います。

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見た目だけでは人の幸不幸を論ずることは出来ないですし、健康体の僕より不健康体の友人の方が、充実していて幸せそうに見えることだってあります。そう考えると決して健康じゃないからとか、一見、不健康そうに見えても、一概にはそれ自体は不幸という定義にはまらないのではないかと思えるのです。どんな容姿であれどんな病気であれ、心が負けていなければ、その病気と向き合っているのであれば、決して不幸ではない。むしろ飯食って糞だけしている健康体よりも断然幸福なのではないでしょうか。病気になる前、病気になった後、死ぬ前死んだ後、産まれる前、産まれた後、どれも後先のことでですが、幸福でも不幸せでも崩れない自分、ぶれない自分がそこにあるのであれば、それは自分の心に負けていない証拠じゃないでしょうか。そのうえで座して病気になるのであれば行動して病気になるほうがまだ自分自身納得いくし、逆に病気はなるときはなる、どのみちなるのであれば、「さー負けないぞ!叩き潰してやる」、「この身が滅びても心は滅ぶことはない」との絶対の気概と確信で行くしかないと思います。死ぬ気で戦っている人には必ず心から寄り添ってきてくれる人が必ず現れるものですから。

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。

武蔵小山フォーエバー(武蔵小山温泉の想いブログ)


武蔵小山の再開発がすすんできました。この再開発事業、東京都が先駆けて「東京のしゃれた街並みづくり推進条例」に基づいて、容積率、建蔽率を大幅に緩和してやけにデカイ建物を建てられるようにしたのです。この範囲は武蔵小山駅周辺に今のところ限っていて、もう少し範囲を緩和してくれたら清水湯も20階建ての屋上に露天風呂ある超高級銭湯でも460円の銭湯価格の高層銭湯をつくってやろうと目論んでいます。さて武蔵小山が栄えるのであれば僕は肯定派なのですが、今まで連綿と暖簾を守ってきた武蔵小山の飲み屋街のあの雰囲気がなくなるのもなんだか寂しいものです。なんだか場末の飲み屋街のようですが、あそこで生まれて育って、細い路地裏でキャッチボールをして大きくなった方々が沢山住んでいるんです。僕の小学校、中学校の友人も多数いまだに住んでいます。

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あそこだけはバブルの荒波にも翻弄されなかった。昔は闇市もあったと聞いていますが、東京のあちらこちらでそんなものは存在していて、だけども小さい窓から見える一家団欒の温かな電球はどこまでも平穏で温かな生活の営みを照らしていたのです。路地に張り巡らしていた、一つ一つの生活が何だかそれぞれのお金の思惑で今まで築きあげてきたコミュニティーさえ消え去っていくようなことってやはりジモティ―の僕からしたら寂しいかもです。でも時の流れこれだけは仕方がないのかもしれません。また新しい街ができて、そこに新しい住民が増えて、そして新しいコミュニティーが出来あがっていく。1つだけお願いしたいことがあるとしたら高層マンションの麓は風が必然的に強くなるので、武蔵小山の駅の地下道から風が吸い上げられるように地上に強風とならないように設計段階で考慮していただきたいものです。すぐ近くの20階マンションの脇はご高齢の方は風が強い時は歩けないことが多いのですから。人にやさしく、人が住みやすい、そして人に愛される街をこれからも武蔵小山は発展し続けていってもらいたいものです。建物じゃなく人が街を創っているのですから。

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風呂屋は風呂屋にしてただの風呂屋にあらず。(武蔵小山温泉使命感ブログ)


「使命感」

おそらく僕が知りうるかぎり若手の銭湯経営者はこの3文字のみで、銭湯道というイバラの道をかきわけてすすんでいると思います。「使命感」それは気がついたものだけが、己の立ち位置で、急流に流されまいと水コケに滑りそうになりながらも両足でがっしと踏ん張りながら、ただ前だけを見続けるそんな姿と責任感の上に立脚している規範原理なんです。それは「俺たちはただの風呂屋でいいのか」と自分に問いただしながら、現状の銭湯業界の行く末を希望をもちながらも厳しい現実と向かい合いながら舵取りをし続けることなんです。銭湯がなくなるほどその街の灯が暗くなる、その街の根付いた人と人との温かい絆が途絶えてしまう。昔ながらの裸のつき合い、それは多次元的にはあらゆる階層、立場、などを乗り越えて平等な人間観を築き、醸成できる唯一のコミュニティーでもある銭湯がどれだけ人と人、心と心の結びつき、いわゆる平和の結びつきを創っている、その地域における役割分担がなくなってしまいことは大きな損失と言わざる得ないのではないかと思うんです。

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明るくて、思いやりがあって、優しさに満ち溢れているそんな世の中をあきらめずに創っていくそこの人間力の源泉が「銭湯」じゃないかと強く思うんです。誰かが銭湯のいつも会う、名も知らないけど、いつも挨拶してくれる、いつも笑顔でいてくれる、気持ちいいお湯を共感できる、そんな幸せ、ハートウオーミング空間にいるだけでなんとなく平和な気もちになり、お互いが共感しだしている、それだけでも世の中を変えるだけのパワーが内在している気がします。これから10年、20年、100年と銭湯の灯を守っていくその気概を持ち続ける俺たち銭湯人は、気がつくと気がつかなくとも大きな使命をもっていることを忘れないでいてほしいと思います。

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。

お客様の笑顔をつくりたい。そんな銭湯でありたいと思います。(武蔵小山温泉ブログ)


戦前は銭湯の黎明期、そして戦中は燃えさかる戦禍に銭湯までも燃やされてしまいましたが、戦後は高度成長期とともに銭湯の勃興期のピークを昭和43年にむかえて、それ以降は、廃れる一方の銭湯業界。けっして清水湯だけが廃れて言ったわけではなかったようです。その根本原因はお客様を見失ってしまったことが最大の原因だと思います。昭和の初めから中ごろまでは自家風呂がなかったわけですから何もしなくてもお客様が一日の疲れ、そして汗を流しに来てくれる。だけど家にあるにもかかわらず、来てくれるお客様はなかなかいないでしょう。なかには長年の銭湯通いに飽きて家庭風呂に憧れをもつそんな時代も一時期あったように思います。それは銭湯の息子が長年の常連さんと銭湯で裸のつき合いをしているなかでの実体験ですが、「家に風呂が出来たらもう来ないかもな・・・」と言われた時は僕の心の中で銭湯の将来、清水湯の将来がとても暗く感じたことなんです。

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子供のころから銭湯の風呂にはいって、銭湯で稼がせていただいたお金でご飯を食べさせていただいて、その銭湯が「今日はあそこがやめた」「こんどはあそこがやめる」という会話が増えてきたのはひさしく続いているように思うのは本当に悲しい事なんです。風呂屋がお客様を見なくなったのは一つは番台の作り方も原因があるのではと思うんです。昔の清水湯の番台も入り口に背を向ける形でありました。お客様がはいってきても背を向けたまま見た目はテレビを見たままあまり感謝の想いも込めずに「いらっしゃい」と目も見ずに言っていたのではお客様の心も離れて行ってしまうことでしょう。風呂屋なのにお湯を使うのを制限するのも気もちは節水をもとめたいのはわかりますが、やはりお客様からするとやな風呂屋になってしまいます。先代でうまくいっていたからといって、時代とともに経営環境がかわってくることを勘案しても、基本であるお客様に喜んでいただくためには何をしなくてはいけないのかを、忘れてはいけないと思うんです。これからも、その未来も続く銭湯を僕は続けていきたい。お客様に喜んでいただける銭湯それは、家庭の風呂にもない、銭湯にしかない心から笑顔になっていただけるそんな銭湯を続けていきたいと思います。

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。