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風呂屋は風呂屋にしてただの風呂屋にあらず。(武蔵小山温泉使命感ブログ)


「使命感」

おそらく僕が知りうるかぎり若手の銭湯経営者はこの3文字のみで、銭湯道というイバラの道をかきわけてすすんでいると思います。「使命感」それは気がついたものだけが、己の立ち位置で、急流に流されまいと水コケに滑りそうになりながらも両足でがっしと踏ん張りながら、ただ前だけを見続けるそんな姿と責任感の上に立脚している規範原理なんです。それは「俺たちはただの風呂屋でいいのか」と自分に問いただしながら、現状の銭湯業界の行く末を希望をもちながらも厳しい現実と向かい合いながら舵取りをし続けることなんです。銭湯がなくなるほどその街の灯が暗くなる、その街の根付いた人と人との温かい絆が途絶えてしまう。昔ながらの裸のつき合い、それは多次元的にはあらゆる階層、立場、などを乗り越えて平等な人間観を築き、醸成できる唯一のコミュニティーでもある銭湯がどれだけ人と人、心と心の結びつき、いわゆる平和の結びつきを創っている、その地域における役割分担がなくなってしまいことは大きな損失と言わざる得ないのではないかと思うんです。

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明るくて、思いやりがあって、優しさに満ち溢れているそんな世の中をあきらめずに創っていくそこの人間力の源泉が「銭湯」じゃないかと強く思うんです。誰かが銭湯のいつも会う、名も知らないけど、いつも挨拶してくれる、いつも笑顔でいてくれる、気持ちいいお湯を共感できる、そんな幸せ、ハートウオーミング空間にいるだけでなんとなく平和な気もちになり、お互いが共感しだしている、それだけでも世の中を変えるだけのパワーが内在している気がします。これから10年、20年、100年と銭湯の灯を守っていくその気概を持ち続ける俺たち銭湯人は、気がつくと気がつかなくとも大きな使命をもっていることを忘れないでいてほしいと思います。

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。