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武蔵曰く「富士山のような銭湯になれ」(武蔵小山温泉雑談ブログ)


流行り、好景気、どこにでも人気者はいて、いつか人気は去っていくのです。でも最近の芸能人のようにまた人気の波に乗って人気をくり返す人もいます。きっとテレビに出ない時も努力を怠らなかったんだろうなと勝手に想像してしまいます。小説「宮本武蔵」の中で武蔵が弟子の伊織に言う言葉がつまでも新鮮です。「富士山のような男になれ」(趣意)人気は繰り返す。流行りは繰り返す。時代は回っている。

最近、なんとなく銭湯ブームと言われています。よく言うのですが今、株買い時だよと一般ピーポーが言いだしたら大体株は下がると見ていいでしょう。昔からブームに乗るのが下手でそもそも乗る気がないのだから性質が悪い。富士山を見て、威風堂々としていて自分が人気者だなんて気にもしない。そんな富士山に憧れて、あるかないかの流行などに右往左往することほど愚かなことはないのです。そう富士山のように堂々として自分の使命を果たしていく、その使命とは温泉を沸かし続けること。そしてお客様を笑顔にし続けること、そのことを富士山の如く、ぶれずに真っ向勝負で進んでいくだけなのです。どうせなら流行を自分が作る気概で銭湯を守り続けていく。それが一番かっくいい富士山の似合う、そして富士山のような銭湯ではないでしょうか。

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。

湯談会(武蔵小山温泉座談ブログ)


人は独りでは生きていけないでしょう。現実には生きていけるし独りがいいと言う人もいるでしょう。沢山の友人がいることが幸せの基準と考えている人もいるでしょう。独りで楽しければ幸せを思っている人もいるでしょう。なにが正解かはその人の心がそう感じればそれでいいのです。僕の理想は上も下もない対等な中に信頼と友情を築いていける「奴」とよべるような奴が友人じゃないかなと思っています。そう本当に友人といえるような人は1人、いるかいないかそんなものなのです。

ひょっとしたらいないかもしれない、だけど最近気がついてきました。どんなに歳をとってもひとつの事に一生懸命ならその姿を通して友人になりたいと思ってもらえることを、また逆に頑張っていて輝いている人を見ると友達になりたいなぁと思えることを、何歳からでも友達はできるのだと、輝ける生き方、自分が輝けるから、人の輝きを感じることができる。そして銭湯の湯舟の中も友達ができる場ではないでしょうか。湯の中で座談会これも人と人をつなげる温かげな素敵な空間じゃないでしょうか。武蔵小山で毎日のように繰り広げられる「湯談会」いい銭湯の一つの形でしょう。

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。

武蔵小山モン(武蔵小山温泉喧嘩上等ブログ)


東京・武蔵小山。都心に近いにもかかわらずどこか田舎町風情がいつまでもぬけきらない街。でもそこに住む人々はどこか優しげで人情味がある街。夏は祭りで熱く、冬は温泉が人々の心とカラダを温めている。品川区の東の端っこにある武蔵小山は町人のまちでもある。決して裕福な街ではなかった。昔からガラが悪くても有名だつた武蔵小山。強さと優しさ、そして何処にも染まらない武蔵小山モン気質。それは戦前から続く伝統だった。とくに後地周辺は町内会の結束も強く政治的にも中立是々非々、軸がぶれずに靡かない。

昨今、お金さえ持っていれば偉いとか、お金さえ持っていれば有名人の一員だとかで勘違いしている輩もいるにはいる。実際、大して社会に貢献してもいない小者。もしそういう輩が「銭湯」を偉そうに語るのなら。それなりに覚悟をもって語らないといけない。命がけで銭湯の暖簾を守り引き継いでいる者にたいして失礼。喧嘩を売っていることになる。どこの何モンだかわからないが知ったような顔をして銭湯の事を語らないように。もし売っているのならいつでも買うぜ。

ある対談集を読んだ感想として。

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。

びわ大金持ち10年計画!(武蔵小山温泉石の上にも10年ブログ)


房総千葉。そしてそのなかでも南房総の特産と言えば・・・。そう「びわ」!なのです。第一位の長崎の1400トン(年間)、そして500トン(年間)の千葉が栄えある第二位!次は鹿児島だそうです。よく南房総、大原を超えて、御宿を超えて、部原(へばら)海岸にサーフィンに行くのですが、その帰り道、たわわに実っ房総産のびわはとってもオレンジ色でふくよかで大きくて皮もつるっと剥けて程よく甘く、種が大きくてきれいに実を食べることができるのです。そんな国産の房総産のびわは結構お高めでなかなか勇気がないと買い物籠の中に入れられないのですが、奮発して買った日は家族で愛おしそうにゆっくりと味わいながら食べるのです。そんな貴重なびわ、いつか宝くじが当たったら食いまくりたい妄想が高まってくるにしたがい、「そうだ!自家栽培すればいいじゃないか!」と気がついてしまったのです。埋めてしまいました。びわの種・・・。すると芽が出るじゃありませんか!

ああ、なんかこの感覚なつかしいみたいな、子供の頃銭湯のドブの横に土があってそこにジャガイモを埋めて育てたことがあった子供時代を思い出しました。この感覚なんか命を大切にする感覚、植物を育てる感覚は人としてすごく大切な感覚ということを思い出したのです。その前に食べ終ったびわの種が一本だけ大きくなっていましたが、肥料の配分を間違えて枯れかかっていますが、今、植え替えて蘇るのをまっています。そして新たに植えた種は順調に育っています。きっとこの子達が僕をびわ長者にしてくれることでしょう。いつか、「武蔵小山温泉」の番台でびわが売っていたら種から育てた、「びわ大金持ち10年計画」の縁起物のびわだと思いだしてくださいませ(笑)

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。

ムサコの風。温泉の風。(武蔵小山温泉雑談ブログ)


愛する武蔵小山。最近では開発の波にさらされて古き良き武蔵小山の繁華街は消えてなくなりました。高層ビルが駅前に立ち並ぶ街並みへとこれから変貌を遂げていくのです。それも今まで駅前だけだと思っていた開発も実はパルム商店がを巻きこむ形でさらに広がりを見せています。また武蔵小山の商店主も高齢化が進んでいることも開発へと進んでいる要因の1つとなっています。是々非々の立場なのでどちらが良い悪いというのは実際のところないのですが、さてさて武蔵小山の街はどんな変貌を遂げるのか楽しみでもあり若干不安でもあります。もし武蔵小山に変らないものがあるとしたら「人」じゃないでしょうか。いつまでもどこまでも下町人情の厚い武蔵小山ローカル気質。祭り好きででもそんあに喧嘩っ早くなくてフレンドリー。仲間意識が強くて、先輩後輩の絆がいまでも現存している。そして飽きっぽくて一度気に入るといつまでも好き。それは対お店にたいしてもそうなんです。

武蔵小山の民の心を掴むのはけっこう大変なのです。でも武蔵小山で成功できれば案外他でも通用するかも。商売をしていると必ず逆風が吹くこともあるけど、ムサコの風はどこか順風満帆で優しげな風なのかもしれませんね。そんな時には風雪に耐えながら育ったお店はやはりどこか温かで優しげな優良店が多いかもです。今日もいい湯が湧いています。皆さまのお越しを心よりお待ち申し上げております。

武蔵小山温泉 清水湯 三代目若旦那談。

電脳解消法!(武蔵小山温泉スッキリシャッキリ入浴法ブログ)


気がついたらいつまでも左手の親指が上下にスクロールを続けていることってありませんか?そうあの青と白の画面をいつまでも上下になぞってしまう行為。気がついたら普通に30分時には1時間近く人様の日記を読んでいる。後悔日記ですから、情報量を増やすためとか何かそこにヒントがないかなという意味もあるし、ただたんに暇だからというのもあるし、この「SNS」というのはどこか中毒性の強いだんだんと雁字搦めになっていくひょっとしたら人間の行動を操られてしまうものなのかとさえ思えるほどです。昔こんなニュースがありました。テレビを見ていると人間が覚知できないほんの一瞬だけ画面が差し込まれる。それは潜在意識化に働きかけ人間の行動規範を操作することができる。そう「サブリミナル効果」という奴です。ウイキ(サブリミナル効果)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%AB%E5%8A%B9%E6%9E%9C

 

このサブリミナル効果に近いものがなんとなくこれらSNSにはあるのではないか、もしかそれに準じた準サブリミナル効果というものが存在しているのか、そんなことを常に毎日毎日、心の平穏を取り戻せる心の母港である「銭湯」の湯舟につかつていると、当たり前と思っていることが、ひょっとして間違っていたり、操られていたりなどとほんの小さな「差異」といものを敏感に感じてしまうものなのです。長いものに巻かれろ、のど元過ぎれば何とやらの国民性の日本人と言われていましたが、まさに静寂そのもの。さて一度スッキリシャッキリリセットしてみませんか?「天然温泉」にバシッとはいりましょう!静電気のようにたまりにたまった脳内電磁波的なものを出しちゃいましょう!きっともっと温かな優しげな思いやりのあるその心の美しさが顔や一挙手一投足にあらわれる、ビューティーボーイ、ビューティーガールになることでしょう。

武蔵小山温泉 清水湯 三代目若旦那談。

 

健康湯(ゆ)パイラル!(武蔵小山温泉ビューティーブログ)


だれもがいつまでも若々しくビューティーで健康でいたいものです。最近、風邪をひいてしまったのですが、熱が出ているわけでもないのですが席喉タンが直らず、急に冷え込んだ冷気にむせたりと正味2週間ほど完治するのにかかりました。この時は本当に「ああオイラもじじいになったものだ」とちょっとマイナスイメージをふくらましちゃいました。あと2年で50歳。織田信長も「人生50年げてんのうらをくらぬれば夢まぼろしのごとくなり」と幸若を唄っていたようにそろそろじじいの年齢に近づいてきるのは間違いないようなのです。だけどそれでも現役バリバリに空手も戦いたい、サーフィンもチューブを狙っていきたい、そんな強欲ジジイでいたい48のじじいなのであります。さて、そんなじじいがどうにかお金もかからず、費用対効果も抜群でコスパ最高の健康法というよりも、いつまでも現役バリバリの海オヤジでいれるかを常日頃かんがえ実践しているのはやはりこの一点、「温泉入浴でカラダを温めまくり細胞一つ一つを女子高生並みにリフレッシュする活動」略して「温活」を実践することが健康の原点ではないかと最近とくに強く確信しています。実際風邪をこじらせるきっかけはあったのです。それは少し寒い海に3時間ほど入ってしまったこと波の数もすくなかったから、波待ちでちょっとカラダが冷えてしまったこと、そして一番よくなかったのが、すこし季節外れの薄目のウエットスーツを着ていたこと。

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それで保温効果がなく冷え切ってしまったのと、以前は若干の風邪の時はむしろ海に入ったほうが治ったことに対しての考え方の油断がそこにあったのかもしれなかったこと、反省する点は幾らでもあるのですが結果風邪をこじらせてしまった。でも、風邪を治す基本はカラダを温めることなのです。そして治ってからの病後の肥立ちも「温活」することでいつもの猛々しくて若々しい体調をとり戻すことができたのです。論より証拠、実践の中で体感することこそ、「百聞は一見に如かず」で健康になりさらに健康を取り戻し、さらに健康になる「健康スパイラル」ならぬ「健康ゆパイラル」なのです。今日も湯けむりが天に舞っています。「温活」で健康になる素敵な天然温泉が貴方をお待ち申し上げております!

武蔵小山温泉 清水湯 三代目若旦那談。

かわらないね♪ビューティーフォーエバー!(武蔵小山温泉ビューティーブログ)


毀誉褒貶、諸行無常の鐘の音、流れる川のようにいつかは形を変え、いつかは姿を変えていくものなのです。生老病死そしていつかはこの世の中から消えていなくなってしまうものなのでしょうか。秦の始皇帝もクレオパトラも楊貴妃も不老不死の命、なかんずく永遠の美をもとめて水銀までをも飲んでいたとのこと。そんなあくなき人間の欲求は何のために美しくいたいのか、何のために長生きしたいのか目的感さえも見失ってきたのかもしれません。そう、美しさは自分ためだけではなく、まわりにいる人をも幸せなきもちにかえていくことにつながるのです。

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自分が幸福感を感じればまわりもその思いに同調することができ、長生き、幸福、美しさが周囲の人々をも同じ幸福感へと導いていくことも可能のです。いつかは露と似て消えてなくなる命ですが、ひょっとしたら「心」は永遠なのかもしれません。肉体は衰えても心は衰えないそこに真の美しさの強靱な真骨頂があるのかもしれませんね。その心の滋養となり、いつまでも周囲から「かわらないね♪」といってもらえるビューティーフォーエバーな湯美人は武蔵小山温泉の天然温泉でつくることができるのかもしれませんね。今日も「美人のもと」が地中深くしみ出しています。皆さまのお越しを心よりお待ち申し上げております。

武蔵小山温泉 清水湯 三代目若旦那談。

湯乱万丈!(武蔵小山温泉雑談系ブログ)


波乱万丈の「波」はどこから来てどこにいくのでしょう。そしてその波はどこでうまれるのでしょう。波は風が生むといわれています。ちなみにハワイの大波は日本を通過する低気圧がそのまま北上してアリューシャン列島(ここは低気圧の墓場といわれています)に到達して消滅するのですが、その際の暴風は大きなうねりをつくり、太平洋のちょうど真ん中にあるハワイまで何にも邪魔されずにダイレクトに届いたうねりは溶岩で出来た浅い海底にぶつかりビッグチューブをつくりだすのです。波が生むドラマ、そして波が生む様々な波及効果。まさに天然温泉の湯舟の「湯」が生む人生ドラマの源とおなじではないでしょうか。

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人は平坦な道を歩いているようでじつは下っているといわれています。楽だからじつはやや下降気味の下り坂を下ってしまっている。本来ある目標にむかって進んでいるのならそれは「山登り」にちかい上り坂でなくてはならないのです。といことは上り坂をのぼっているのですから苦しいはずです。息もあがってくるはずなのです。でもそれが正しい成長している時の進み方ではないでしょうか。正しい道、充実の人生は湯が生むが如く「湯乱万丈」が丁度いいのです。

武蔵小山温泉清水湯若旦那談。

超温泉!(武蔵小山温泉雑談系ブログ)


宇宙ってはじまりがあるのか、はじまりがなかったのか、終わりがあるのか、終わりはないのかどっちだと思います。なんかの本でよんだことですけど、大別すると2つの理論があるとのこと、それは宇宙はビッグバンによってはじまり、(超恒星の終焉による大爆発からの新しい宇宙の創造ともいえる)そしてはじまりがあるということは終わりがある。もうひとつは、そもそもはじまりはないという前提に立ち、ゆえに終わりもない。かりにビッグバンがあったとしてもそれは宇宙の途中経過での一現象であって、どこでもボコボコあり得る、それ自体が宇宙を小さくとらえ過ぎているというもの、そもそも宇宙は人の呼吸のようにふくらんだり縮んだりしていて、成長している。ここはビッグバン説とおなじで宇宙は膨張していることは共通しているようです。さて果たして宇宙の果てなど見ることは不可能ですし、かの有名なホーキング博士もタイムマシンは不可能と断じていて、相対性理論のアインシュタインの光の速度を超えることができればバックツーザフューチャ―はあるかもしれませんが、現実は無理そうです。そもそもタイムマシンなど無用の長物だと僕はも思っているのですけど・・。

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さて2つの理論はそもそも西洋哲学と東洋哲学の根本的な哲学の相違と言われています。命にはじまりがあるかそれとも永遠か。その根本的な哲学(考え方)の主張といわれています。正直日々の生活が大変なのでどっちでもいいのですが、考え方において終わりがあるより永遠の方が高尚のような気はします。そう長生きすると言っても健康になりたいと言っても、美しくなりたいと言っても「生老病死」は避けられないのですが、命が永遠ならまた生まれてきても命には刻み込まれている何かがあると思いませんか?だから善につながることをしたいし、命を汚すこと、また他者を傷つけることはすること自体間違った生命観だとおもうのです。そのいいことをする。その源泉が心の温かさであり、死生観を超えた、また宇宙の始まりを超えた、現実的で超身近にあり、日々の生活に生かすことのできる、超幸せを実感できて、難しいことなど関係なく単純に「いい湯だな」という幸せのフレーズを言葉に変えることのできる武蔵小山温泉の天然温泉は「超温泉」なのかもしれませんね。

武蔵小山温泉清水湯若旦那談。

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