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湯美人!(武蔵小山温泉ビューティーブログ)


最近、肉が流行っています。そう武蔵小山は最近「肉」の街。僕も家族も肉大好きラバーですが、灯台下暗しで自分のカラダについた肉およびその周辺についた脂肪についてはあまり気にしないのかもしれません。カラダの「肉」いわゆる筋肉は骨格筋でありカラダの運動機能を支える重要な筋組織になります。なので熱量を発します。だから筋肉量が多ければ多いほどカラダは熱を発し燃えやすいカラダとなり、一面では痩せやすいカラダとなるのです。ですが脂肪はあくまでも脂肪、それ自体は燃えることはなく(厳密には有酸素運動をすることで脂肪は燃えだします)ただ冷えた状態でカラダに過剰に蓄積された脂肪はメタボの動脈硬化や心筋梗塞の原因となるリスクがあるのです。横道にそれちゃいますが、「高血圧」「高血糖」「高脂血症」が血管系の循環器能を侵していくのです。

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やはりそこで大切になってくるのが「運動」でしょう。運動それじたいはカラダを温めることであり、カラダの筋肉量を増やし、脂肪を減らして温まりやすいカラダに変えていくことが大切なのです。有酸素運動それ自体はけっこうしんどくてなかなか続けられないこともありますが、その一環として位置付けてもいい天然温泉を活用した「温活」はこれからもカラダを温めるということの健康の大本流という意味ではいつまでも誰もが実践しやすく誰もが長続きしやすい簡単ヘルシーな温泉につかるだけで誰もが「湯美人」になれる温活健康法じゃにでしょうか。

武蔵小山温泉 清水湯 三代目若旦那談。

シューマイ弁当は子供時代の思い出。(武蔵小山温泉グルメ散歩)


白いタイルがただキレイだった清水湯。いつももうもうと湯気を上げていて人々を近寄らせない閑古鳥が出すオーラがあった清水湯。お客様がいないから普通に浴場が汚れなかったし、二代目のオヤジが塩素だけはふんだんに投入してたからお湯も汚れなかった清水湯。少ないお客さまの中に混じって毎日このクソ熱い風呂に入りに来てくれていた「スズキのとっつあん」がいた。夜8時になると必ず二つある浴槽の端の半畳ほどの風呂屋の俺も何のためにあったのかしらないスペースに腰かけて風呂に入ったり出たりを繰り返して体中に大粒の汗をかきながらたまに浴槽のお湯をくんで汗を流す、そのとっつあんの時間に合わせ毎日俺も風呂にはいっていた。たまの日曜日の休みの日は一緒に横須賀の安浦という埠頭まで行って釣りをしに行った帰り道、お互い釣れなかった横浜駅の赤い看板のまえで小銭を数えて、黄色い包みの弁当を一つ買ってくれたことは当時小学生だった俺の記憶にいつまでも忘れることなく刻み付けられているのです。

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そんなとっつあんも俺が中学に上がってだんだん悪くなるのを苦々しく見ていてしばらくして自宅に風呂を作ってしまって、そのあとは道でたまにすれ違うだけとなってしまったけど、ある日、「太郎、ちょっと家にこいよ」といわれて行ったとき、釣り道具を仰山もらったあとポックリといってしまったとっつあん。いまでもあの頃、北風が強い中、2人で海に向かって小便したとき、それが逆風だったために出た途端全部U字型になって小便が戻って来てびちょびちょになってしまったこと、なんとなく喧嘩っ早かったとっつあんにケンカの仕方を教えてもらったこと、「崎陽軒のシュウマイ」をたべる度に思いだすよ。その後、孫の未来くんに空手を教えて黒帯になるのまではあの頃はちょっと想像もできなかったけどね(笑)崎陽軒のシューマイ弁当はどことなくほろ苦い思い出の1ページを思いださせてくれる優しくて、温かい隠し味が隠されているのだと思う。おごってもらうだけで何も恩を返せなかったとっつあんを偲んで。

武蔵小山温泉しみずゆ若旦那談。

崎陽軒のシューマイ弁当の思い出。

崎陽軒シューマイ弁当 http://www.kiyoken.com/products/obento/shiben.html

かわらないね♪ビューティーフォーエバー!(武蔵小山温泉ビューティーブログ)


毀誉褒貶、諸行無常の鐘の音、流れる川のようにいつかは形を変え、いつかは姿を変えていくものなのです。生老病死そしていつかはこの世の中から消えていなくなってしまうものなのでしょうか。秦の始皇帝もクレオパトラも楊貴妃も不老不死の命、なかんずく永遠の美をもとめて水銀までをも飲んでいたとのこと。そんなあくなき人間の欲求は何のために美しくいたいのか、何のために長生きしたいのか目的感さえも見失ってきたのかもしれません。そう、美しさは自分ためだけではなく、まわりにいる人をも幸せなきもちにかえていくことにつながるのです。

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自分が幸福感を感じればまわりもその思いに同調することができ、長生き、幸福、美しさが周囲の人々をも同じ幸福感へと導いていくことも可能のです。いつかは露と似て消えてなくなる命ですが、ひょっとしたら「心」は永遠なのかもしれません。肉体は衰えても心は衰えないそこに真の美しさの強靱な真骨頂があるのかもしれませんね。その心の滋養となり、いつまでも周囲から「かわらないね♪」といってもらえるビューティーフォーエバーな湯美人は武蔵小山温泉の天然温泉でつくることができるのかもしれませんね。今日も「美人のもと」が地中深くしみ出しています。皆さまのお越しを心よりお待ち申し上げております。

武蔵小山温泉 清水湯 三代目若旦那談。

カルピスのみた~いby腸内フローラ(武蔵小山温泉雑談系ブログ)


最近テレビで自分的に話題沸騰なのが第二の脳があるという話題。それは頭にある脳以外に指令を出す器官があるというもの、それは「腸」なぜというと腸内にはお花畑に似た腸内細菌がびっしりあって、それらの細菌はそれぞれが連携していて人体に影響を与えているというのです。その細菌がお花畑のようにみえるので「腸内フローラ」といわれています。じつは驚くことにその細菌群は何かしらの物質をだして脳に刺激をあたえるといわれているのです。ちょっとゾクッとする話じゃありませんか!だって最近アマゾンで買ったカルピス業務用1リットルを5パックを飲んでなくなったからといって3回計15パック、ということはカルピス15リットルをこの夏から秋にかけて飲んでしまったということです。

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驚異的な腸内フローラ!だってお腹にいいのがカルピス!僕が一口飲むたびに乳酸菌が腸内のフローラちゃん達にとってカルピスシャワーが降りそそいでくるようなもの!「太郎!もっとカルピスシャワー、モア!」みたいなこといってるフローラちゃんがいてもおかしくないのです。そう今も冷蔵庫にカルピス業務用1リットルパックがある僕は完全に腸内フローラに支配されているのでした。ちなみに腸内フローラは温めるとさらに強くなるらしいです・・・。

武蔵小山温泉清水湯若旦那談。

こどもにサーフィンをさせたかったら。(武蔵小山温泉子育てブログ)


波にのるって素晴らしいのです!ふわっと押しだしたうねりから波にかわる瞬間、波との呼吸にあわせて自分もふわっと合わせるだけで、地球上でここにしかない自分と同じ波がひとつとしてない唯一の波とひとつになって波がまたもとの海にもどるまでその素晴らしい波を享受することができるのです。サーフィンそれは、遥か彼方でうまれた波は長い旅路の果てに永遠とおもわれていた波の命が波涛となって砕け散り昇華する瞬間、人はその波に生の終わり、そしてまた生まれ変わる為の生のはじまりを知らずのうちに波にのることによって生命に刻むことができるのかもしれないのです。ただ、海に抱かれるように浮かんでいるだけでもなにか心にかかえていたものが大海に溶けこんでいくような錯覚さえも感じる、海からあがってきたとき生まれ変わった自分を感じるのも海、そしてサーフィンのすばらしさなのです。

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さて、そんな海大好き、サーフィン大好きな若旦那ですが、じつか3人の子供たちはサーフィンをしないのです。そこで、あの手この手でサーフィン大好きボーイズ&ガールズにしようとここ数年頑張ってみたのですがなかなか思うようにならなかったのです。その理由は「サメがいるからこわい」「水が冷たい」「海がきたなくて何がいるかわからない」「くらげがいや」などなど、そこで何をしたかといいますと、とにかく「勉強」「受験勉強」「猛勉強」そう勉強をさせたのです!子供のなかで一番きらいな勉強!勉強ばかりの夏休み、そーっと耳元で「たまには海にでもいこうか?」とささやいてみました。すると「行きたい!」なにかこの雁字搦めの環境から逃れたい一心のような反応を示し、「ならサーフィンもしようか?」というと「したい!」勉強するぐらいなら、また勉強のし過ぎでストレスがたまりにたまっている子供心にはとにかく本能的に海、そして波にのりたい欲求がマックスになっていたのでしょう。さて海についてサーフィンビギナーの練習場所で有名な湘南腰越のビーチで普段は怖がっている子供たちが輝く笑顔で何度も何度も波にのろうと挑戦し、何度もパーリング(海に落ちること)し、そのうち自分でパドリング(水を掻くこと)して沖にでて波を追うようになったのです。長男は疲れたのかただサーフボードの上に寝そべって気持ちよさそうに漂っているのが、それだけでも最高に気もちいい!といい、長女はこんなにサーフィンが好きだったかとびっくりするくらい何度も波を追いかけ、パドルで戻ってくる、そして笑顔を笑い声のたえない楽しい親子サーフィンが江の島の片隅の腰越ビーチで繰り広げることができたのです。帰りは目の前の地元の漁師さんが経営している「しらすや」さんで美味しい地魚定食!帰りの車の中でが超熟睡!家についた時はすでに気持ちが入れかわっていて「さーこれから勉強だ!」「わたしは塾!でもなんだかスッキリした!」とサーフィン効果をすでに確認することができ、ここのほんとうの「文武両道」を実感することができました。もし、子供に何か自分の好きなことをさせたかったら「子供に勉強させよ!」と教えたてあげたくなった今年の夏の思い出でした。小学校時代まったく勉強しなかった若旦那より。

武蔵小山温泉清水湯温泉サーファー談。

湯乱万丈!(武蔵小山温泉雑談系ブログ)


波乱万丈の「波」はどこから来てどこにいくのでしょう。そしてその波はどこでうまれるのでしょう。波は風が生むといわれています。ちなみにハワイの大波は日本を通過する低気圧がそのまま北上してアリューシャン列島(ここは低気圧の墓場といわれています)に到達して消滅するのですが、その際の暴風は大きなうねりをつくり、太平洋のちょうど真ん中にあるハワイまで何にも邪魔されずにダイレクトに届いたうねりは溶岩で出来た浅い海底にぶつかりビッグチューブをつくりだすのです。波が生むドラマ、そして波が生む様々な波及効果。まさに天然温泉の湯舟の「湯」が生む人生ドラマの源とおなじではないでしょうか。

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人は平坦な道を歩いているようでじつは下っているといわれています。楽だからじつはやや下降気味の下り坂を下ってしまっている。本来ある目標にむかって進んでいるのならそれは「山登り」にちかい上り坂でなくてはならないのです。といことは上り坂をのぼっているのですから苦しいはずです。息もあがってくるはずなのです。でもそれが正しい成長している時の進み方ではないでしょうか。正しい道、充実の人生は湯が生むが如く「湯乱万丈」が丁度いいのです。

武蔵小山温泉清水湯若旦那談。

風呂仲間!(武蔵小山温泉友情ブログ)


やはり人は独りじゃ生きられないのでしょう。何かを求め、そして何かを手に入れたとしても、友情だけはお金で買えるものではないのですから。また、子供の頃とくらべると大人になってからのは友達が作りづらいと言われています。何故かというといろんなもの、生き様であったり肩書きであったり、家庭環境、経済力、また、目の色、雰囲気、趣味など大量情報が一瞬のうちに子供の時と比べて判断できることも要因なのかもしれません。「竹馬の友」といえる友人はやはり財産なのかもしれませんね。さて、不思議なもので人は裸になると肩書きや、地位、名誉というものも脱ぎ捨ててしまう傾向性があるのかもしれません。

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飾るものがない、なので恰好つけることもできない、ありのままの自分、そういう裸のつき合いが出来る場というのは銭湯しかこの世に存在しないのです。あるとしてら見たことはありませんが秘密クラブの裸族クラブぐらいなものでしょう。しかしながら本当に老若男女庶民の気取らない場所で心と心を通わせることができるのはやはり街中の「銭湯」しかないのです。そん銭湯はではやはり其処彼処で「こんにちは!」「今日もいい湯だね!」「やっぱ仕事のあとは風呂にかぎるね!」「このあとのビールがたまんないんだよ!」「あんたいける口かい?」「じゃーこのあと牛太郎でもいこうかい!」なんて日夜新しい友とお風呂談義に、お風呂座談会、そして風呂仲間が自然とできてくるのではないでしょうか。人と人を結びつけるこの世知辛い世の中のひとつの曙光「銭湯」今日も新たな仲間、そして友達が生まれているのかもしれませんね。

武蔵小山温泉清水湯若旦那談。

平和がいいんです。(武蔵小山温泉平和だから銭湯に通えるんですブログ)


最近、本当にやなニュースばかりでいやになっつちゃうとおもいませんか?大体犯罪、戦争、テロの温床は貧困ときまっているのだから、軍事費をすべてあげちゃえばいいじゃんとおもいます。あっという間に貧困はなくなりくだらない戦争はなくなるんですから。金のための戦争これはやめましょう。昔見たオーメンという映画をおもいだします。ダミアン扮する悪魔が権力の象徴である大統領になって権力をつかって世界を破滅させていくそんなストーリーだったと思うのですが、そんなダミアンが今の世の中多すぎます。悪魔の心は誰の心にもあるでしょう。ただそれが顕在化するかしないか、それは東洋的に言えば「縁」や「機縁」というなにかしらの作用から善もうまれるし、悪もうまれる、だから平和教育が必要ですし、人間教育も必要になってきます。そのうえで心の羅針盤も必要でしょう。

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原因と結果という至極単純な法則からいえば、戦争しない、平和を創造する、幸せを求めるその地道かつ果断な行動力しかこのちょっと行き詰まりを感じる現状は変えられないのではとおもっています。机上の遊戯ではなく平和も戦い、それも無血の戦いが求められるようになってきたと思うんです。100人いれば100人がいろんな主義主張を言う権利があるけど、くだらない敵、味方の二元論だけでは本当に見た目いい人風のダミアンにこの世を乗っ取られちゃうんじゃないかな。銭湯でのんびり癒されることができるのも平和だからです。となりの焼肉和田さんで美味しい焼肉がたべれるのも平和だからです。林試の森でのんびりとウオーキングできるのも平和だからです。普段風呂に入って心の洗濯をしていると色々なことに気付く平和主義者の若旦那より。

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。

 

超温泉!(武蔵小山温泉雑談系ブログ)


宇宙ってはじまりがあるのか、はじまりがなかったのか、終わりがあるのか、終わりはないのかどっちだと思います。なんかの本でよんだことですけど、大別すると2つの理論があるとのこと、それは宇宙はビッグバンによってはじまり、(超恒星の終焉による大爆発からの新しい宇宙の創造ともいえる)そしてはじまりがあるということは終わりがある。もうひとつは、そもそもはじまりはないという前提に立ち、ゆえに終わりもない。かりにビッグバンがあったとしてもそれは宇宙の途中経過での一現象であって、どこでもボコボコあり得る、それ自体が宇宙を小さくとらえ過ぎているというもの、そもそも宇宙は人の呼吸のようにふくらんだり縮んだりしていて、成長している。ここはビッグバン説とおなじで宇宙は膨張していることは共通しているようです。さて果たして宇宙の果てなど見ることは不可能ですし、かの有名なホーキング博士もタイムマシンは不可能と断じていて、相対性理論のアインシュタインの光の速度を超えることができればバックツーザフューチャ―はあるかもしれませんが、現実は無理そうです。そもそもタイムマシンなど無用の長物だと僕はも思っているのですけど・・。

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さて2つの理論はそもそも西洋哲学と東洋哲学の根本的な哲学の相違と言われています。命にはじまりがあるかそれとも永遠か。その根本的な哲学(考え方)の主張といわれています。正直日々の生活が大変なのでどっちでもいいのですが、考え方において終わりがあるより永遠の方が高尚のような気はします。そう長生きすると言っても健康になりたいと言っても、美しくなりたいと言っても「生老病死」は避けられないのですが、命が永遠ならまた生まれてきても命には刻み込まれている何かがあると思いませんか?だから善につながることをしたいし、命を汚すこと、また他者を傷つけることはすること自体間違った生命観だとおもうのです。そのいいことをする。その源泉が心の温かさであり、死生観を超えた、また宇宙の始まりを超えた、現実的で超身近にあり、日々の生活に生かすことのできる、超幸せを実感できて、難しいことなど関係なく単純に「いい湯だな」という幸せのフレーズを言葉に変えることのできる武蔵小山温泉の天然温泉は「超温泉」なのかもしれませんね。

武蔵小山温泉清水湯若旦那談。

シンギュラリティ(技術的特異点)の湯(武蔵小山温泉雑談ブログ)


AI人工知能が人類を超えるその瞬間をシンギュラリティというようです。すでに将棋の分野では超えているでしょう。将棋得意若旦那が飛行機の将棋ゲームで全敗ですから・・・。いつかくるターミネーターとの戦いに備えて人類はなにをするべきなのか、そしてなにを備えておくべきなのか。ただ一つ、風呂にはいって温めておくしかないでしょう。それは心を温めカラダを温め、思うやりを温め、友情を温め、同苦を温め、慈悲を温め、そして愛を温めるのです。その本来もっている人間にしか備わっていない命をロボットのに吹きこむのです。

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それしかロボットとの全面戦争は避けることはできないでしょう!冷たい心の人間がつくったAIロボットはきっと冷たい殺戮をくりかえす冷たいロボットにしかならないでしょう。でも心の温かい人間がつくったロボットは優しい温かいロボットになることでしょう。今こそ心を温める時代がやってきました。今こそ心を鍛える時代がやってきたのです。それはすなわち全て自身にブーメランのように戻ってきてしまうものだからなのです。心を温めましょう!未来のために・・・。

武蔵小山温泉清水湯若旦那談!(だんだんだだん!ターミネータの挿入歌風笑)