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温泉道は世界平和の道。(温泉で思いやりの心が育めます。)


誰でもわかることでですが、戦争ほどばかばかしいものはないのではないでしょうか。また、平和ほどありがたいものもないのではないでしょうか。その戦争はいまでも世界のどこかで続いているんです。戦争ってなんなんでしょうか?なんとかリテラシー不足の僕からすると、考えれば考えるほど理解が出来ないのですが、ひょっとしたら、よくある町のケンカに似ているんじゃないかと思うんです。はたまたお隣さんと軒下の庇がすこし隣地にかかってとか、植木がはみ出ているよとかでけっこうケンカになるけどそれに似ているんじゃないかなーと思えるんです。ささいな出来事が小さなケンカになるのと同じで戦争もささいなことがきっかけでケンカになるにちがいないと考えてもさほど間違ってはなさそうです。ただ、隣近所の個人間のケンカが国家規模のケンカになっただけのことなのです。

お風呂に入る→幸せになる→平和になる。そんな方程式なんです。笑

お風呂に入る→幸せになる→平和になる。そんな方程式なんです。笑

ここで厄介なのは、国家間になった場合、国民も徴兵制でしたくもないのにケンカに参戦させられるということなんです。今のところ、憲法がまもってくれているので大丈夫そうですが、ただここではっきりさせたいのは、もしケンカするなら首相がタイマン(一対一)でなぐり合ってこい、そう喝破しておきます。なぜなら、それが本当の意味で国民の気持ちを理解することができるからです。だれも戦争なんか求めてはいませんから、また、ケンカには大義名分が必要なんですね。それが無いなら絶対にケンカはしちゃいけないんです。昔、武士は理由もなく刀を抜いたりできないんです。いったん抜いたら生きるか死ぬかを決めないといけないんです。逆説ですが、それだけの覚悟をもって平和を守らなくちゃいけないんです。生きるということは勝負ですから絶対に勝たないといけない、でも、武力や腕力で勝っても怨恨を残すことしかできないんです。これは本当にそうなんです。ですから、僕は平和を目指すためにも「対話」を武力の代わりにすべての勇気や知恵を集めて全精力を注ぐべきだと確信しています。

露天風呂から見える空はやけに大きいものなんです。笑

露天風呂から見える空はやけに大きいものなんです。笑

戦争(武力)(ケンカ)は無知、平和(対話)は知恵、(人間の人間たる存在価値)ではないでしょうか、怒りから優しさへ、非情から慈悲へ、不信から信頼へ、無関心から同苦へ、臆病から勇気へ、いがみ合いから対話へ、そして冷たさから温かさへ。たった一人の心の変革が、一人、二人そして無限の数の心温かき勇気ある平和を愛する実践者になっていくんじゃないでしょうか。銭湯の温泉道とは遠大な平和の道を身近で実践する心を温めて心が優しくなり、なぐり合いする前にしっかり対話(話し合い)のできる、他者を思いやれる心と心を伝播させて平和への近道を創ることのできる温かい平和の実践者になっちゃう場所なんです。

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。

(あとがき)実は武道とは戈(ほこ)を止めると書いて武と読むんですが、昔でいうと戦の抑止力という概念なんです。それをヒントに温泉道というのを考えてみましたが、温泉の可能性を平和創造の役に立つという考え方も悪くはないのではないでしょうか。笑