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知ってなるほど!清水湯の名前の由来。


お隣の友人のお米屋さん、“清水屋”さんとは関係ありません。(笑)ちなみに此処のお米屋さんは地元の小学校、中学校と同級生でいつも仲良くさせていただいております。清水屋のご主人は以前、武蔵小山温泉・清水湯での銭湯ライブでクイーンのボヘミアンラプソディーを歌ってもらうほど歌がプロ並みです。さて、本題の清水湯の名前の由来ですが、実は僕も最近まで知らなかったんです。それがある日「あー、なるほどそういう事か」と完全に確信にかわりました。それまでは正直、僕も清水屋さんの遠い親戚か、人気米屋さんにあやかって祖父が真似したかぐらいにしか、考えていなかったんです。そこで5年前リニューアルのために、古い清水湯を取り壊し、今まで使っていた井戸を綺麗にしようという事で井戸の中に入ってみたんです。その時、本当にびっくりしました。物心がついてからこのかた70センチ四方の井戸の蓋しか見ていなかったのですが、それはほんの一部分で中に入ってみると、井戸の中はもの凄く大きな空間が広がっていてこんな井戸見たことがないと一緒に入った井戸業者さんもビックリしていました。本当に40年近く誰も気が付かなかったんですね。父からも聞かされていなかったので、驚愕でした。実寸すると縦横一辺が10メートル程あり深さも6メートル程あり誰がこんな巨大な井戸を掘るんじゃいと驚きを隠せませんでした。どうやら、曾祖父が掘ったんではないかと後に判明しましたが、噂には聞いていましたが、そうとうやり手だったらしいです。昔、同郷で目黒の雅叙園の創始者と一緒に上京してきたらしいのです。それが原因かは分かりませんが、兄弟全員披露宴は雅叙園でした・・・僕が武蔵小山のこんな街中に30メートルの櫓を立てて1,500メートルも掘り黄金の湯を掘削したのも遺伝なのかもしれませんね。でも良いところだけ遺伝したいものです・・・(汗)

高さ30メートルの温泉櫓(やぐら)普通こんなところで温泉掘りません(汗)

で、その巨大な水井戸、水質検査もしましたが、最高なんです。井戸業者も言っていましたが、掘り方の仕事もいい仕事をしているし、絶妙な深さで、もう少し深いとおそらく鉄分の多い赤い水が出ただろうし、本当に良い清水が湧き出る良い井戸だと絶賛していました。その時、僕は「そうだ!この事だったんだ。」と確信しました。この井戸から清水が出たから清水湯にしたんだなと確信した次第です。実際話をしなくてもこの清水湯を引き継いで後世に残したいその思いは先代、先先代、更にこの井戸を掘った曾祖父も同じだと思いますし、心のバトンをそこで感じることが出来たので清水湯の名前の由来も確信できたわけです。その後、あまりにもデカいので直ぐに気が付いたのが耐震性などの強度の問題でした。井戸の上には蓋のように鉄筋コンクリートが覆いかぶさっていました。当時のコンクリは川砂の質の良い材料が使われているとの事でしたが、更に補強しようという事で新清水湯が出来上がっていく過程の中で外構工事の中に組み込み、現在最高の鉄筋とコンクリートを30センチ厚で更に蓋をするように屈強に覆いかぶせています。

更に頑強に水井戸の耐震補強工事。

 

これで、おそらく末代に亘ってこの井戸は残していけると思いますし。大事に祖先から受け継がれたものとして後世に引き渡せるように、清水が湧き出るこの水井戸を守り続けることが出来ると思います。3年や10年銭湯を続けても意味がないと思いますし、地域に恩返しをする意味でも、100年でも続けていけるように清水湯をまた、銭湯文化を残し続けてていきたいと思いました。

武蔵小山温泉・清水湯、三代目談。