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私があなたの町の宣伝本部長愛川欣也です。(温泉と武蔵小山愛)


アド街に出させていただいたのがかれこれ15,6年ぐらい前ですから、あれからしばらくアド街さんも武蔵小山に来てないですね~。そろそろ来てくれないかな~アド街♡。それにしても息の長い番組ですよね、「アド街ック天国」そして司会の愛川欣也さんの「私があなたの町の宣伝本部長愛川欣也です。」も鉄板です。さて、アド街のいいところは、取材をしている時点で街に溶け込んで、その街のいいところをしっかりと視聴者に見せようと言うところなんです。本当に足を棒のようにしながら、隅々までまわって、その町の良さを探していました。個人的な考えなんですが、最近は人の悪口をdisというのでしょうか、自分のサイトの訪問数を増やしたい方法論として人様のいわゆる悪口を軽々しくかきたてている風潮にはなんだかうすら寒いものを感じるのは僕だけでしょうか。とくにリテラシー云々などと心の狭さを感じさせるような杓子定規的な思考論理のかたがたに多く見受けられる気がいたします。

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人というのは悪口は言い易く、褒めるのは言い難しと言われているんですが、たしかに悪い噂は広がりやすく、良い話はなかなか広がりづらいものです。僕自身も褒められないと育たないタイプですので、3人の子供を妻と一緒に育てていて思うのは、褒めることでわかりやすく成長するということなんです。怒ることも大切ですが、あくまでも理性的に怒らなくてはいけないし、感情的に怒るのが一番よくないなーとつくづく思います。褒めるというのは、目に見えるもの見えないものも含めて、自身の心の目を開いていないと見えないわけで、結構労力を使うものなんだとおもうんです。逆に怒るのはある意味感情にまかせればいいだけで、自己満足に近いものなんじゃないでしょうか。昔、いい先輩がいて悩んだら「難しい方に行け!きつい方を選べ!」といわれたことがあるのですが、今では本当にその通りだと心から思います。いいものは積極的に作り出していかないと良いものとして広げることができない、だから伸びているところ、成長しているところは厳しい中にも優しさがあり、楽しさがあり、明るい雰囲気が醸し出されているものなんです。たぶん平和なんかもおなじ原理だと思うんです。また山岡壮八の徳川家康にもありますが、「殺したら殺される」というくだりが「悪口いったら悪口言われる」また、語るに落ちるともいいますが、頭よさそうなのが、往々にして語れば語るほど底が浅い気がするのは気のせいじゃないでしょう。「褒めるは難し、けなすは易し」という思いで、清水湯の若旦那の役割は、目をこらしていいものを見つけだし、また感受性を高めて、心でも見れるようにいいところをほめ伸ばしていける新たな一年を始めたいと思っています。逆説で「褒めれば褒められる」もまた真なりですおで、僕はけなすことは絶対せずに、お互いの良さを認めつつ、そして尊敬しあいながら、また褒め合いながら武蔵小山を住みたい町日本一にしていきたいと決意しています。

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。