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銭湯は不思議のあっこちゃんなんです。(温泉談義)


人はどこから来て、どこへ行くのでしょうか。古今東西の哲人、思想家が知りたくてもなかなか答えの出ない誰しもが備わっていながら、だれも明確な答えを出すことのできない、ある意味、人類の最大の疑問じゃないでしょうか。正直毎日が忙しくて、生きていくことが大変でそんなこと考えている時間ないよ、とかそんなことわかんなくても楽しいし生きていけるよ、なんていうのがほとんどの考え方じゃないでしょうか。最後は土にかえるんだから・・・。なんてそれでちゃんちゃんみたいな(笑)でも本来は、あきらめずにどこから来てどこへ行くのかはとても大切なことなんじゃないかと思うんです。それはなんのために生きているのか、なんのために頑張っているのか、何のために今ここにいるのかにつながってくるからなんです。ある人が「人生は舞台のようなもの」だといっていましたが、まさにそれぞれの人々が自分自身という役を演じているというのです。銭湯の若旦那。

めぐりめぐって温泉にいきつきました。

めぐりめぐって温泉にいきつきました。

人によっては華々しい役柄もあるでしょうし、人もうらやむ役柄もあるでしょうし、自分ではこんな役を演じたくないと言う人もいるんじゃないでしょうか。この舞台にたって自身を演じているってある意味、僕は正論だなと思うんです。努力によって演じたい自分になれるのですから、なりたい自分にむかってとにかく前に進んでいく努力のモチベーションになると思うんです。そんな中で今銭湯の3代目をしている自分ですが、日々の忙しい生活の中で、心がけていることがあるのですが、それは今立っているその足元のやるべきことを全力でやる、おそらく何か意味があることで、必ずこの先のことにつながっていくことだと思うんです。その繰り返しがいつしかなりたい自分に近づくための一歩一歩じゃないのかと、毎日の銭湯の仕舞い掃除のときにタイルをたわしで無念で掃除しているときに、漠然といろんなことが浮かんでくるんです。先哲さえ明確な答えが出せない何のためにいるのか生きているのかの答えはマイナスイオンバリバリの銭湯で心もカラダも温め清めるなかになんとなくおぼろげながら心に浮かんでくるかもしれませんね。一つ言えるのは、生きててよかった~とか、今日も良い日だった、明日も頑張ろうと風呂に肩までつかった時に心から感じれるから風呂は不思議です。

武蔵小山温泉清水湯 若旦那談。