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武蔵小山温泉 清水湯の歴史 その1。


昔から温泉至上主義みたいなところがあるんですが、そのきっかけは、平成6年に今は亡き2代目の父親が掘ってくれた天然黒湯温泉なんです。そのインパクトは本当にすごかったんです。それまでの清水湯のイメージというのは閑古鳥がみえなくてもいるというのが実情で、たまにいなくても貧乏神がいるか、呪われているかのどちらかだと思っていました。笑。それというのも本当にお風呂は煮えたぎっているんだけど、お客様が一人もいないお風呂の光景はいまだに忘れられないんです。子供のころは幾分それでもマシだった気がするのですが、物心がついて、思春期を過ぎて、ちょっと社会人の仲間入りをするぐらいになってきたあたりから、この清水湯を立て直すことはどんだけのミラクルが必要かはかり知れなかったんです。

いつまでも武蔵小山の地でお役に立ち続けていく覚悟です。

いつまでも武蔵小山の地でお役に立ち続けていく覚悟です。

でもよくいうピンチはチャンスとか、逆境こそ成長の源みたいなのを純粋に信じれるのも若さゆえのような気もします。それでも父親が一番最初の温泉を掘るといったときは、大反対しました。それまでも父親は僕と正反対で競走馬やマージャン、株などやっては負けてばかりいたんです。本当に大変だつたんですが、この温泉だけは成功したんです。本当にこれだけは、清水湯が起死回生、断崖絶壁の風呂屋から不死鳥のごとく蘇った瞬間だったんです。人それぞれ自身に歴史があるものですが、清水湯の最大の歴史のターニングポイントは、まさに2代目が天然黒湯温泉を掘り当ててくれたことに尽きるんです。その後、おかげで売り上げは10倍に跳ね上がり、(というかもともとが悪すぎたためですが・・・。)母親も昔から友達から「顔怖いね」などと言われていたのが、自然と福助のような顔に変わってきました。笑。その時なんですね、風呂屋の復活を信じられるようになったのは・・・。一度進みだした駒はそう簡単には止まらないものです。その後、借地である現状を打破するために頭をスキンヘッドにして何度も正座してお願いにいくなど、実際借地を購入するまで(実際は借地権はあるので底地権を購入する交渉)10年かかっているんです。そのくだりはあまり人に語るのもはばかれる部分もありますので、(決して脅していませんけど・・・汗)端的にいうと地元ではちょっとした話題になったんです。不可能が可能になった!と、それまで話したこともないお爺さんとか話しかけてくれたりして少しは「この小僧やるな」と認めてくれた瞬間だったんじゃないかと思いますし、何も変わらなかったのですが、一段見晴らしのいいところに立てたなという実感とやりきったという嬉しさがありました。

ただ、受け継いで渡していく捨石でありたいと思っています。

ただ、受け継いで渡していく捨石でありたいと思っています。

(借地問題を抱えている人は結構多いと思いますが、実のところ本当に風呂屋の借地は本当に大変なものなんです。なんせ借り坪が半端じゃないですから。)今では、固定資産税が大変になってきていますが・・・笑。さて、清水湯の歴史はざっくりとご説明しましたが、僕の子供たちにもいつかは知ってもらいたいことなので、(以前初代のおじいちゃんの日記を間違って捨ててしまったことがあり、いまでも読みたいけど読めないという申し訳なく思っていてるので)時には小説風に、またはドキュメント風に清水湯ブログでご紹介していこうと思います。子供たちに親父も(3代目のことですが)頑張ってたんだなと思われるように清水湯の日記代わりにさせていただきますね。笑

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。