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サーフボード(中古美品)情報(武蔵小山温泉サーフボード情報ブログ)


僕、大のサーフィン好き。ちかくに寄るとすこし海の匂いがします(笑)でもそんなにうまくないです。ただ楽しければいい。海に浮かんでいれば幸せ。前のりされても気にしない。基本一人で海にいくのが好きです。それは僕と海。二人きりで対話したいから。さてそんな僕こと若旦那。毎年サーフボードをオーダーで削ってもらいます。するとどうしてもサーフボードだらけになってきちゃうのです。どれもお気に入りのサーフボード。大切に保管しているのですが、今年は同時に4枚削ってもらいました。すこし悲しいのですが大切に乗っていただけるかたにお譲りしたいと思います。僕の身長が181センチ。体重83キロ。サーフィン歴20年。多分中級者レベル。基本クセのないサーフボード達です。ご興味のある方はinfo@shimizuyu.comにメールください。

 

 

 

個人売買ですのでノークレーム、ノーリターンでお願いします。ご希望の方はフィンもありますのでお気軽に申し付け下さい。

武蔵小山温泉 若旦那談。

*武蔵小山温泉サーフィン倶楽部を立ち上げようかと検討中。

基本波のある時の平日サーフィン。ゆるいつながり。大人数でいっきにポイントに押しよせてリズムを崩すようなサーフィングループではなく節度とマナー、そして基本ルールを守りながら最大限楽しみながら心から海とサーフィンと自分の家族を愛するサーフィングループができたらいいなぁと思っています。ライングループでゆるいつながりの情報交換しましょう!サーフィンしなくても海好き、若旦那好きならだれでもOK!

サイズ62~63.上から3番目は57.幅、厚みは希望の方は写真データを送りますので宜しくお願いいたします。

返信が遅くなることもありますがご了承の程お願いいたします。(当日いただいたご質問には当日お返しいたします)

価格はぶっちゃけ3万前後。カスタムオーダーで当時14,5万で作った美品のサーフボード。シーズン前の超お買い得ボードです。

ガレージに入りきらなくなったので泣く泣く処分!でもまだあと10本はありますけど・・・。

銭湯そして出会い。(武蔵小山温泉「縁」ブログ)


「縁」って不思議です。そもそも何故銭湯の星の下に生まれてきたのでしょう。何故、稔と栄子の二人の下に生まれてきたのでしょう。何故、そこに兄弟がいて、武蔵小山という地に育ったのでしょう。そして何故、妻という人間に出会い、3人の子供達と出会うことができたのでしょう。そしてその家族を愛おしく感じるのは何故でしょう。独りで生きているようで沢山の人との出会いの中で育まれ、影響を受けながら自分らしく成長していき、それがただ単に偶然という言葉では片付けられない出会いが散りばめられていることを思うと、偶然も必然だったのではないかと悠久の天体の営みの一部分であるような確信を微かに感じることもある今日この頃です。

人との出会い、言い換えると「縁」はきっと数多の「袖振り合うも多生の縁」の中からさらに前世からの縁の続きを現世でも演じているのかとさえ思うこともあるんです。それは人との「縁」また土地との「縁」、または時代との「縁」、そして生まれてきた星との「縁」きっと偶然のようで何かしらすべてに意味があるのかもしれませんね。武蔵小山に温泉が沸き、その温泉を掘ったのもきっと「縁」でしょうし、そこに集い癒される人々との出会いもきっと「縁」なのかもしれません。そしてそれはきっと必然だったのでしょう。そしてきっともっと沢山の方方を笑顔に変えていく宿命も宿っているのかもしれませんね。

武蔵小山温泉 清水湯 若旦那談。

2代目のオヤジが死んで6年が経とうとしています。そろそろ「若旦那」から「大旦那」に名変しなくてはいけないかもです(笑)

心の美人湯!(武蔵小山温泉美人ブログ)


世の中公平だと言いながらなんと不平等なのでしょう。生まれながらにして不平等。これが実相です。そして見た目も全然違います。美人、不美人、生まれながらに天に愛されて生まれてきたのかとおもえるほどの美貌の持ち主。天はあえて差別して人々を創造したのでしょうか。「天賦の才」生まれながらの与えられた才能、美貌、容姿。しかしそれだけが幸せの要因でしょうか。否そんなことはないでしょう。キレイだけど心が汚い。お金持ちの家に生まれたけど心が貧しい。ボンボンだけど良い奴・・・。貧乏になってもいい奴なのか・・・。「心こそ大切なれ」という言葉があります。どんな境遇にいようが、どんな環境に置かれようが、健康であろうが不健康であろうが、金持ちであろうが、貧乏であろうが、美人であろうが不美人であろうが、五体満足であろうが、五体不満足であろうが、心だけは自分だけのもの。

その心だけは平等であり、世界でただ一つの自由かつ自在に強く、広く、賢く、美しく変えることができる自分だけのものではないでしょうか。それは天に与えられたものというよりは、輪廻転生をくり返す中で自分だけが作り上げてきた命の実像。心がキレイならいいのです。心が楽しければいいのです。心が幸せならそれでいいのです。何故なら心こそ大切であり、心こそが永遠だからなのです。bひょっとしたら心が美しくなると美しいオーラが全身を包んでいき、不思議と内面からにじみ出る心美人(こころびじん)になるのかもしれませんね。天然温泉がそんな心の美しさを創りだす一助になれば最高ですね。

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。

 

 

心こそ大切!銭湯オヤジのつぶやき(武蔵小山温泉ポエムブログ)


「銭湯すたれば・・・」。有名な詩です。人と銭湯の繋がりを今昔を交えながらそして銭湯の温かさと人の温かさを表現した田村隆一氏の詩です。その後に続くのは「人情もすたる」そうなんです。昔も今も銭湯は人と人のつながりを保ち、そして繋がっていける。乾いた、冷たくなった、隙間だらけの心に温もりと優しさ、太陽のような明るさを与え、人間蘇生の大劇場を小さな銭湯の湯舟の中で演じることが出来るのです。「人生は劇のよう(趣意)」有名なシェークスピアの言葉です。そう銭湯の心あたたまる人間劇場はまさに人間蘇生、人間復活のハッピーエンドの劇であり、登場人物全員が主人公であり、社会における必要とされる人材なのです。

この世界に銭湯がある限り、世界は平和の道をすすみ、人々は優しさに満ち満ちてくることでしょう。最後にニーニェの「足下を掘れ、そこに泉あり」という言葉を贈りたいと思います。幸せは決して今いる世界の外にある訳ではなく、まさに自分の立っているその場にある。苦しい時も悲しい時も逃げずに前進していく。そこに自分だけの幸せの泉を見出すことができるのでしょう。今日も幸せの泉が湧き出ています。皆さまの心を笑顔に変える源泉が皆々さまをお待ち申しあげております。

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。

積極的平和温泉学(武蔵小山温泉平和ブログ)


古き良き時代。それは昭和。昭和は別名戦争の時代と言われています。そんな時代に生まれた名作「はだしのゲン」子供時代にこんな悲惨な時代があったのかと心が怖さで震えた記憶があります。それと同時に、「火垂るの墓」いつの時代も一番の被害者は「こども」そして「女性」。一部のエゴのために罪のない人々が悲しい環境に置かれることを為政者はもっと自覚しなければいけないのです。実際、戦争体験した人は平和主義になると言われています。それはあまりにも酷い時代残酷な行為。どんなに正当化してもしきれるものではありません。環境、時代は巡るといいますが、喧嘩を知らないケンカの仕方が分からない、そもそもケンカは弱い奴がするものだとわかっていない。信じる前から眼鏡が曇っていて偏っている、喧嘩の原因などそもそも小っちゃい理由がほとんどです。そして戦争も同じなのです。そこに金やしがらみ(利権)が絡んでくるから訳が分からなくなる。

いずれにしてもあの時代にもどしてはいけない、そう強く思うのです。時代は激動の時代に突入していくかもしれません。歴史の本流の中に巻き込まれても、平和への判断力、思考力、そして他者への包容力、優しさを決して忘れない、常に軸を確固としてもった積極的平和実践者になっていくことが大切でしょう。目の前にある小さな行動でもいいのです。それがポッと心を温める種火になればいいのですから、そしてまずは自分の心から温めましょう。冷え切った心には思いやりの心も灯りづらいですから。今日も平和への狼煙のごとく「湯けむり」が天に舞っています。皆さまのお越しを心よりお待ち申し上げております!

武蔵小山温泉 清水湯 若旦那談。

温泉連鎖(武蔵小山温泉心もホットするブログ)


世の中にはいろんなスパイラルがあります。いつまでも闇の中から抜け出せない、不幸の連鎖、いつまでも憎しみ合う不審の連鎖、いつまでも満足することが出来ない心の貧しさの連鎖、そしていつまでも四面楚歌の状態で首も回らない生き地獄のような悲しい連鎖、どれも心の置き所で変革することができる連鎖ではないでしょうか。心に錦をといいますし、病も気からともいいますが、すべては心の持ち方、置き方だけでも今いる立ち位置を変えることは簡単にできるのではないでしょうか。ある本にありましたが、原因と結果は一体で「よし決めた!」と思った瞬間にすでに結果は決まっているといわれています。あとはただ行動するだけ、ならば決める!言い換えれば「決意」する前向きな心の持ち方、そのたったそれだけの小さな違いだけで結果が伴ってきて、思った通りの結果を得ることができるのなら、そんな安上がりないい話はないのではないでしょうか。当然、行動の中に、試行錯誤や、血の小便のでるような努力があるのは当然ですが、ここで大切なのはそもそも自分自身を信じて疑わないその心の定まり方が大切なのです。

突き詰めていってしまえば、世の中の誰が自分を信じなくても、誰よりも自分の存在をしっている自分自身が「俺はできる!」と信じればいいだけの事なのです。そして見事結果を出す!この「負けない」そしてじりじり少しずつでも上向きに前向きに自分の立ち位置を持ち上げていけばいいではないですか。その心の強さの源また元気の源となる「天然温泉」で心を鍛え、休めて、常に前進のスパイラル(連鎖)を繰り返し進んでいきたいものです。さー今日から決めましょう!不幸の連鎖を断ち切り、絶対に幸せになると決めた幸福スパイラルを進んでいきましょう!

武蔵小山温泉 清水湯 若旦那談。

風呂馳走!(武蔵小山温泉雑談系ブログ)


飽食の時代。ある有名人などの豪勢な食事のシーンをテレビで見ていると煌びやかに着飾って、何万、何十万もする食事を大してうまそうな顔もせずに食べているのをみていると、めぐりめぐって、ただ臭いうんこしかしない人なのではと思ってしまうのは僕だけでしょうか。あの豪勢な食事のほんの少しでも貧しい人に施してあげる心があればそれだけでもかなり貧困貧食問題が解決できるのではないでしょうか。経験上、一番簡単なことが喧嘩すること。本当に誰でもできるのです。そこを堪えてケンカしない知恵が人として高貴になり、内面から輝ける一因になるのではないでしょうか。基本、知っている者同士ならケンカはおこりません。

知らない者同士、突き詰めれば「不信」がケンカの原因なのです。他国とのケンカも「不信」顔が見えない、会ったことがない、ただ第三者のまわってきた話しか聞こえない。悪口が情報として操作されていたら、不信感で一杯の人ならすぐにケンカです。ケンカしたことあります?勝ってもたいして嬉しくない。それがケンカです。ちっとも心が晴れないそれがケンカです。鏡に映ったバカな自分と言い合っているような錯覚に陥るのがケンカなのです。安くても美味しい怖いけど優しい妻がつくってくれる心のこもったご飯をたべましょう。一部の特権階級しか食べれないものなど、くっさいうんこの原料にしかならないのです。平和。それは毎日の心温かいものに含まれているでしょう。きっとそれは温かな温泉にも心の滋養となり、物事の本質がくっきりと見えてくるのです。だから愛情あふれる食事、そして心も温まる温泉活動。平和を希求する温かな心は毎日の何てこともないごく当たり前の中に存在しているのです。風呂もご馳走、心の栄養源なのです。

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。

誇り高き銭湯の民(武蔵小山温泉平和希求ブログ)


武士は食わねど高楊枝とはいいますが、誇り高き武士の痩せ我慢を言い当てた言葉とも言われています。民俗学が好きな若旦那ですが、武士は武士で厳しい身分制度の下熾烈な生存競争をくり返していたのです。人は平等といわれていますが、世の中あまりに憎悪が多過ぎてまた軋轢、不寛容によるいざこざも多すぎます。そして世界中に広がるテロの様相、この世界はどこに行こうとしているのでしょうか。現実に目を向ければ向けるほどに矛盾だらけの世界にみえてくるのは僕だけではないでしょう。世の賢者、それも創始者、創造主、預言者的な人たちが集まって話をすれば一番、問題解決は早いと言われているのです。例えば、キリスト、アラー、仏陀、ゴッド、最初の言いだしっぺですよ。人を救いたい、人を幸せにしたい、その熱い命を共有できる人たちが話が合わない訳ないのです。

ではなぜそれら宗派ごとに現在では争っているか、ただ単に「金」です。しがらみ、利権、美味しいご飯に美味しいお酒、そこにはすでに大本である創始者の心はないのです。あきらかに戦争がビジネスとして金儲けの道具になっている昨今、その悪しきスパイラルを断ち切るのはそれを作り上げた強欲のそして自分本位の生命観を変革するしか道はないでしょう。その変革する方法こそ「心を温める」ことしかないでしょう。温かい心は人に対して優しく、信じて、励まして、喜びを共有でき、心麗しい友人の輪を広げることができるのではないでしょうか。誇り高き心に慈悲の心も生まれてくるというものです。昔の身分制度も今は無いのです。その気になれば出来ないことはないのです。平和の世紀を創れる心の源泉。武蔵小山温泉は平和創造主義なのです。

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。

銭湯平和学(武蔵小山温泉平和ブログ)


能動的な生き方、受動的な生き方、積極的な生き方、消極的な生き方、まっすぐな生き方、策士的な生き方、先手な生き方、後手な生き方、色々ありますが、後出しじゃんけんな生き方だけはしたくないものです。さて、平和を享受するのは、厳しい勝負の世界にあってどんな状況に陥っても「負けじ魂」で前に前に進んでいく生き方に尽きるのではないでしょうか。世の中には悪意はなくても雑多な低質の情報が溢れています。さもすると何気に正義に満ちていて、正しい情報のように錯覚しそうになるのです。それは一元的には正しいかもしれませんが、何気に大衆的で人心を誑かす(たぶら)要素がそこはかとなく散りばめられています。見抜くことは難しくなくその情報源が何気に吐く「預言者」的な自己賛歌的な文言をいっている、どこか滑稽でそして枝葉の事象をことさら大本の問題にすり替えている、そして自分のことを棚に上げながら人の誹謗中傷にやっきになっているのなら大体、偏狭的な解釈が挟まれているものです。

ネット社会だからこそ、簡単に発言できる分、言霊の責任感も希薄なのでしょう。どこまでも大衆迎合的な情報操作に操られないように常に心を鍛えて心がけたいものです。さて平和とは一人一人の心の中にあるものです。一人一人が強く賢くそして優しくなれることがひいては地域の平和にあり、そして世界の平和につながっていくのです。心の定まっているところがどこなのか?言葉を文字に変える前にその人の命を見極めてみましょう。おそらく愉快犯とはこういう一見頭が良さげにみえて底の浅い、独断的で偏った小人のような人間だったりするものなのです。がん細胞ってどんなのか知ってます?黒くて硬くて冷たいものなんです。それがどんどん大きくなってくる。だから温めましょう!心を!そしてカラダを!がん細胞が増幅する反対の事をするのです。強く、賢く、優しく、慈悲に満ち溢れ、春の優しげな温かさと強さ、メッキはいつか剥がれてしまうのです。ダイヤモンドのように輝き、隣人をも温かな気分にそしてともに幸せになれる絶対的な心の平和境涯を創ってまいりましょう!

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。

太郎の風呂(武蔵小山温泉徹子の部屋ブログ)


驚異の長寿番組「徹子の部屋」黒柳徹子さんの逸話でクイズ番組でなぜ正解ばかり答えるかと聞かれた時に番組のプロデューサーが「陰で努力をしているからです」と答えたといわれています。そう黒柳徹子さんは努力の人だったのです。けっしてテレビの画面からでは見せない陰の努力、そういう芸能人の方って多い気がします。人を感動させるのには絶え間ない努力が必要なのでしょう。そして年末によくやっている野球の戦力外通告。これは見ていると胃が痛くなってくるのです。才能には大きな差は無いように見えるのですが、しのぎを削るプロの世界ではほんの僅かな差、(具体的には何の差かわからないのですが)それが大きな決定的な差となってしまうようです。それはイチローが毎日努力を続けていることと同じように努力を続けていても、どこかで差が出てくる、イチロー氏が語っていた要約ですが「毎日の努力にプラスアルファーの努力」的なことをいっていたのを漸進的に積み重ねるように努力を続ける、

それはじつは誰にでもできることなんだと、ただその出来ることをやらなかった結果が戦力外通告という厳しい現実に見舞われることになってしまう、本当に現実の世界は厳しいものです。おそらく銭湯の世界も一緒でしょう。激動する世界情勢のなかで銭湯もその荒波に翻弄されるのは必然、そこで踏ん張れるのはきっと毎日陰の努力を昨日よりも今日と積み重ねることのできる努力型の銭湯マンだけなのでしょう。いちまでも戦力になれる銭湯を続けていこうと決意してまいります。

武蔵小山温泉 清水湯 若旦那談。